「ネバーランドより」子どもの読書力

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 かつてないほどに「子どもの読書」に熱心な親たちがいるというのに、なぜ子どもの本離れがさわがれるのだろう。

 結論から言ってしまえば、プロセスが速すぎるのだと思う。一日のうちの「読書の時間」がふんだんに与えられていない、という話題については本誌のVol.2で述べたが、もっと大きな流れの中でも、ものごころついてから本を開き、親や祖父母のひざの上でおはなしを読んでもらい、やがて活字に親しみ、いつか自分で本棚から一冊の本を選んで読みふけるようになる、という長い過程のために与えられる時間が少なすぎるような気がする。

 四十年前、まだ「文庫」というものがぽつりぽつり作られ始めたばかりの頃、図書館もまだ少なく、あったとしても子どもの本のスペースなどわずかであった時代、親はまだ家庭の読書には今ほど関心がなく、早期教育もそれほど熱心に行われてはいなかった。一方、子どもの数は非常に多く、都会では生徒数が千人を超える「マンモス校」もめずらしくはなかった。その分、中には「本を読む子」も確かにいたが、その代わり、「本を読まない」子どもも、絶対数から言えば今よりよほどたくさんいたのである。

 最近はそれに対して、子どもの数は激減したのに、逆にまわりの環境は一見ずいぶんよくなっている。「文庫」は地域に定着し、図書館は児童書のコーナーを整え、ブックスタートやおはなしキャラバンといった読み聞かせ運動も盛んである。それならば、比率としては昔より本を読む子、読書力のある子の割合があがってもよさそうなものであるが、相変わらず「子どもの読書力の低下」は叫ばれ続けている。なぜだろうか。

 創刊号のこの欄で書いたように、それはおそらく「冊数」よりも「レベル」の問題なのである。昔の子どもは一年生で『ピッピ』を読んだが、今の子どもは六年生。昔の子どもは小学生で「ナルニア」を読んだが、今の小学生にはとても読めない…。創刊号では、その原因のひとつとして時代に合わない言葉の問題を挙げたが、それだけの理由でこれらの本のおもしろさが子どもに理解できないわけではない。おそらくは、そこに至るまでの道が実は整えられているようで整えられていないのであろう。あるいは逆に、舗装道路しか歩いたことのない人間は山道を登るのがつらいように、自ら本のおもしろさを発見する前におとなたちから「あれもこれも」と与えられ過ぎた子どもにとっては、「これは昔おとうさんやおかあさんが読んだ本だからぜひ読んでごらん!」などと言われることは、うれしいというよりはむしろ負担なのかもしれない。

 では、手取り足取りの熱心な読書教育が、かえって子どもの意欲をそいでいるのだろうか。しかし、全般的に見て、日本の子どもが極端に活字離れを起こしているかというと、そんなことはない、という気もする。大人も子どもも老人も、日本人はなべて活字が好きである。

 しばらく前に、新聞で天才少年の記事を読んだ。アメリカに住み、飛び級で、十五歳で大学に進学し、物理学だか化学だかの研究をしていたと思う。「日本にいて枠の中にはめられた教育しか受けられなかったらこうはならなかったでしょう」などという母親の談話を読み、確かに日本には飛び級はないなあ、などと思って読んでいたら、ふとこんなくだりが目に入った。「彼は活字中毒で、ひまなら薬のラベルでも読んでしまう」。これが、凡人にはないこの天才少年特有のすばらしさのような口ぶりで書いてあったが、これは思わぬ目からうろこの新発見だった。こういうことをわざわざ文章に書くこと自体が私にとっては新鮮な驚きだった。アメリカ人の中にいると「活字好き」は珍しいことなのかもしれないが、日本人なら多かれ少なかれ、誰にでもそういう傾向はあるのではないか、と思ったのである。私は天才ではないが、何もすることがなければすぐに読む字はないかと無意識のうちにまわりを見回す。だれかのお宅を訪問して、お茶を淹れていただくあいだ待っているわずかの時間に、目線は自然にそのへんにある本の背表紙や、カップボードの上に置いてある折込広告に行っている。私の家に来る客もまたしかりである。電車の中で読むものがなければ、隣の人や向かいの人が持っている新聞の裏側を見ている。ラッシュの電車でみんなが一様に吊り広告を見上げている光景は、外国人の目には一種異様なものに映るらしい。そういえば、外国のバスや地下鉄で日本のような車内広告を見たことはなかった。他の国で使われることのない単一言語の国でありながら、ありとあらゆるジャンルにわたる出版物の年間発行部数は日本が世界一らしい。日本は活字の国なのである。昔も、今も。

 経済力に恵まれた国で水準の高い教育を受け、親や学校や図書館がふんだんに本を与えてくれて、活字が好きな国民性で、それでも「本離れ」が言われる。舗装道路を歩いてきた子どもたちにいったい何が起こっているのだろうか。
 整えられた道しか歩いたことがなくても、次のステップに行けば山道を歩くことができるようになるはずだった。山には山でしか出会えないものがある。頂上まで行かなければ見られない景色もある。何かを「見たい」という貪欲な願望があれば、人はどこまででも行くことができる。ましてや、もともと本を読むことを「奨励」されている子どもたちは、読もうと思えば忙しい時間の合間を縫ってでもいくらでも読むことができるのだ。ところが「優しい」おとなたちは、山をのぼる前に山の景色を見せて「あげて」しまう。頂上にたどりつく前に、いや、そこまで行こうとも思わない先から、「上から」の景観をすべて示してしまう。

 その弊害の最たるものがテレビであることはすでに何十年も言われ続けている。海の向こうに見たこともない国があり、聞いたこともない言葉を話している人がいるということすら知らないうちに、テレビの画面はアメリカやヨーロッパの景色を映し出し、親たちは「あれがアメリカよ」「あれがフランスよ」と教えてしまう。すると子どもたちは言葉を通して「外国」というものの存在を知り、いったいどんなところであろうかと想像をふくらますことなしに、「アメリカ」や「フランス」のステレオタイプを定着させてしまう。その結果アメリカはだれにとっても「アメリカ」であり、フランスはどの子にとっても「フランス」である。それぞれの心に描く「外国」がないから、実際かの地を踏んだときの驚きも興奮もない。絵本の挿絵を見て感じるような郷愁もない。思ってもみなかった光景に出会うことすらない。月の写真ですら子供向けの雑誌に載るようになってから二、三十年もたっている。クレーターの拡大カラー写真を先に見てしまった子どもたちに「月のうさぎ」の話をして、「よろこばない」と言って不満をもらす大人たちのほうがむしろまちがっている。

 活字と映像の関係についてはまだまだ語りたいことにきりがないが、それは別の機会に委ねるとして、もうひとつ最近気になることは、「おはなし」のパロディー化である。今の子どもたちには、あまりにも早く「おはなし」の世界が料理されてしまっている。素材を知らないまま、加工品をどしどし与えられてしまっているのである。  美しく優しい姫を助けに行く勇敢な王子様、という「定番もの」に心ときめかせ、はらはらし、魔法つかいとの戦いでは手に汗にぎり、無事に王子が姫を救い出した瞬間には心からの拍手を送り、安心して眠りにつく、という「プロセス」を、何年もかけて心ゆくまで堪能したあとでなら、へっぴり腰の王子やひねくれたお姫様もおもしろおかしく笑えるかもしれない。しかしオリジナルを読んで感動した記憶のないまま妙なひねりをきかせたものを大量に与えられたらどうなるであろうか。原作の昔話や正統派の「おはなし」がつまらなく感じられるだけでなく、子どもは純粋で素朴な価値観というものがよくわからないままで育ってしまう。小さな子どもだけでなく、成長過程の若い人々にとっても同じことである。小澤俊夫氏は、『世にも恐ろしいグリム童話』の出版を「世紀の大犯罪」と断じたが、まったく同感である。そこまで極端な例でなくとも、あまりに幼い子どもたちに、「原型」をとばして「変形」を与えることにはどうしても賛成できないのである。

 娘が小学校に入りたての頃、何かのことで説教していて、
「『うさぎとカメ』の話は知ってるでしょ。」
と言ったことがある。そのとき娘が曖昧な表情でうなずいたのを見て、ふと一抹の不安を抱き、
「どんなお話か本当に知ってる?言ってごらんなさい。」
と言ってみた。すると娘は、
「うさぎとカメが競争したの。うさぎは速く走るんだけど、カメは遅いから最初はうさぎが勝ってるの。だけど、途中に川があってね、うさぎは橋のあるところまで遠まわりしなくちゃならなかったけど、カメは泳いで渡ったから先に着いたの。」
と言った。私は唖然としてしまって、思わずそこに座り込み、本来の『うさぎとカメ』の話を懇々と語って聞かせた。が、娘はたいしておもしろくもなさそうな顔をして聞き、
「ばかなうさぎだなあ。」
とだけ言った。さいごまであきらめなかったカメのえらさは全く伝わらなかったようだった。

 パロディー版「うさぎとカメ」の出どころはどうやらNHKの子ども番組だったらしいのだが、就学前の子どもの十人のうちの九人は見ている、と言われるその番組の中でこういうことをされては困る、と本気で日本放送協会に抗議しようと思ったくらいだった。きちんと「お話」を読んであげなかった自分の怠慢は棚にあげて…。

 おとなは確かに保守的な寓話や陳腐なおとぎ話にあきあきしているのかもしれない。しかし、そういうおとなだって、人生のどこかでおはなしを「初めて聞いた」ときには、必ず新鮮な感動を覚えたものではないだろうか。自分があきているものに子どももあきているとはかぎらない。人生が始まってまもない子どもたちにとっては何百年くりかえされた昔話であっても、「聞いたこともない」初めての体験であることにまちがいはない。それをちゃんと知っていたからこそ何百年、何千年という長い年月、おとなは子どもを自分のひざに乗せて「すてきなお話」を語り継いできたのである。ところがわずかここ二、三十年のあいだに様相はがらりと変わってしまった。ぴかぴかの本棚とあふれんばかりの新刊書の中では、「子どもにとっての初めて」よりも、むしろ「おとなにとっての初めて」が氾濫し始めてしまったのである。

 私はなにも千年一日のごとく同じものだけを与え続ければよいと思っているわけではない。その理由はすでに創刊号に詳しく書いた。ただ、その時代の子どもにふさわしいその時代の良書を作るにあたっては、やみくもに「今までなかったもの追い求める」ことだけが方法論ではない、ということを言いたいのである。「人生」という名の長い道のりにおけるヴァージンロードを歩いている子どもたちにとって、すでに何かにあきあきしているということはありえない。それに、似たようなものをいくつも与えられたからといって、必ずしも「またか」と思うともかぎらない。それは、それこそおとなの先回りである。むしろ子どもは同じことの繰り返しが好きだ。パターン化された「おやくそく」に安心感を覚えるものである。『水戸黄門』を好むおとな以上に、子どもたちは勧善懲悪やハッピーエンドが好きである。新しい時代の子どもたちに新しい本を提供する必要性は確かにあるのだが、それは目新しさに走って奇をてらうことによってではなく、言葉や表現、グローバルなものの考え方、といった、「ストーリーをささえる部分」の方で勝負してもらいたいものだと思うのである。

 早くにものごとを「もじ」ったり、揶揄したりすることは、たとえその目的が純粋に「笑いをとる」だけのためであっても、子どもにとってはやはり害である。先に多くのパロディーを見せられた場合に何が起こるかというと、オリジナルの方が「ディフォルメされた滑稽な姿」に映る、ということである。優しく美しいお姫様は、「そんな人いないよ。」ということになり、勇敢で凛々しい王子様は「ほんとにいたら疲れるよね。」という醒めた目で見られてしまう。素直な感動の前に皮肉な見方を教えられてしまうと、子どもは何が正しくて何が正しくないのかを自分で判断できるようになる前に、ものごとを斜めに見たり、まっすぐな正義感や純粋な愛情を鼻で笑ったりすることだけを覚えてしまう。そしてそれで何が困るかと言うと、大きくなって、他人とのかかわりの中で、からだが打ち震えるような衝撃や涙がこぼれるほどの感動に出会ったときに、全身全霊で歓んだり悲しんだりすることができなくなってしまうことなのである。

 豊かな子ども時代は豊かな人生の始まりである。
 同様に、貧しい子ども時代は貧しい人生の始まりである。

 ここまで恵まれた国にいて、わざわざ大人が子どもの感性を奪い取るような真似をする必要など決してない。子どもの心に初めて咲く花は、化学肥料や農薬ではなく、澄んだ湧き水を必要かつ十分なだけ優しく注ぐようにして育てていきたいものである。
(2005年8月「ネバーランド」Vol.4に掲載)